2025.01.26
霊園・墓地情報
所在地 | 〒327-0324 栃木県佐野市山形町1178 |
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アクセス | ●東武佐野線「田沼駅」より車で12分 ●JR両毛線、東武佐野線 「佐野駅」より車で20分 ●北関東自動車道 「出流原スマートIC」 より車で5分 |
営業時間 | 10:00~16:00(火曜日・水曜日定休) |
駐車場 | 無料駐車場あり |
管理寺院 | 妙光山 報恩寺 |
宗教・宗派 | 臨済宗 |
樹木葬をご購入の際は、下記料金がかかります。
永代供養料
(墓地使用料)
管理料
※一括払い
墓石代
彫刻代
※家名彫刻費無料
●4霊希望の方はご相談ください。
●別途墓石代金がかかります。
●お寺が管理する樹木葬です ので、永代にわたり供養され安心です。
●50年後(期限到来後)もお寺の管理が可能な限り、合祀はせずに個別納骨のままご供養いたします。
●毎年、合同法要を執り行います。
●生前のお申込みも受付けています。
●駐車場が完備されています。(墓地のすぐ近くに思いやり駐車場有り)
●墓じまいの必要がありません
勧請開山 栄西 元久元年(1204)木曽義仲の子、清水冠者義高が落ち延びて佐野家に仕え、名を佐野(岩崎)越前守義基と改め、父祖の霊を弔う為に寺を建て、栄西を招請して開山とし、如法寺と称したといわれています。21世三伯玄伊和尚の代に、妙光山報恩寺と改めました。住職は代々鎌倉建長寺の隠居が務めていたといわれており、格式のある寺でした。天正19年(1591)に天徳寺了伯が、母(赤見丹波守義政の娘)の菩提を弔うため自ら大願主となって中興しました。この時の住職が福源山古溪籐和尚であり、徳川幕府から19石7斗の朱印地をいただいており、末寺8ヵ寺を持つ大きな寺院でありました。寛政年間(1789~1801)までは、広い境内に堂塔が林立していたといわれますが、その後寛政・嘉永年間2度の火災に遭って焼失し、その後再建された桃山式建築の本堂も平成6年に不慮の火災で焼失しています。現在の本堂は平成10年に再建されたものです。