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  • 浄土宗
  • 4名様まで
神奈川県横浜市都筑区

横浜やまた樹木葬墓地 エリア初「骨壷納骨型樹木葬」を建立中、 令和7年7月オープン予定。 ただいま先行予約受付中!

所在地 〒224-0029 神奈川県横浜市都筑区南山田2-4-1
アクセス 横浜市営地下鉄ブルーライン・グリーンライン「センター北駅」より徒歩15分   横浜市営地下鉄グリーンライン 「北山田駅」より徒歩12分  「センター北駅」より東急バス(4番乗り場)  た91 たまプラーザ駅行き 「大善寺」停留所より徒歩4分 「南山田二丁目」停留所より徒歩3分  東急田園都市線「たまプラーザ駅」より東急バス (12番乗り場)「センター北駅」行き た91 「大善寺」停留所より徒歩4分 「南山田二丁目」停留所より徒歩3分
営業時間 10:00~16:00(火曜日・水曜日定休)
駐車場 無料大型駐車場を完備しております。
管理寺院 光明山 大善寺
宗教・宗派 浄土宗
  • 永代供養
  • 宗教不問
  • 「骨壷納骨型」樹木葬 対応

樹木葬の特長

01

管理寺院による永代供養・管理付き

お寺が管理する樹木葬ですので、永代にわたりご供養され安心です。毎年、合同法要を執り行います。
02

使用期間は50年、墓じまい不要

他の樹木葬と比べて、50年間という長い期間ご利用いただくことが可能です。継承者がいなくても、管理寺院が永代に渡りご供養いたします。
使用期間の終了後は、合祀墓によるご供養で、墓じまいが不要ですので、ご家族による負担はなく安心です。
03

骨壷をそのまま納骨できる、移し替えや粉骨不要の樹木葬

樹木葬ではほとんどの場合、粉骨して土に撒いたり、骨壷から遺骨を出して専用容器に入れ替えることが一般的です。
千代石の樹木葬は、骨壷のまま納骨できますので、移し替えや粉骨することはありません。
※特殊形状の骨壷については、移し替えさせていただく場合がございます。
04

バリアフリー設計

墓地までは起伏がなく、車いすや足腰が悪い方でもお参りがしやすくなっています。

区画プラン・価格

樹木葬をご購入の際は、下記料金がかかります。

永代供養料

(墓地使用料)

管理料

※一括払い

墓石代

彫刻代

※家名彫刻費無料

プラン名
イメージ写真
納骨数
永代供養料・
墓地使用料
管理費
墓石・彫刻費
使用期間
2霊区画
1霊〜2霊まで骨壷での納骨可能
60万円〜70万円
50年分一括払い100,000円
50年
3霊区画
1霊〜3霊まで骨壷での納骨可能
90万円〜100万円
50年分一括払い100,000円
50年

2霊区画の3霊目、3霊区画の4霊目はオプションとなり、骨袋での納骨となります。
別途石塔代金がかかります。

●お寺が管理する樹木葬ですので、永代にわたり供養され安心です。
●各々石塔を設置致しますので、50年間個別に、ご家族ごとにご納骨できます。
●50年後は合祀墓へ移し、永代にわたりご供養いたします。
●骨壷のままご納骨できますので、移し替えや粉骨する事はありません。
(特殊形状の骨壷については移し替えさせていただく場合がございます)
●毎年、合同法要を執り行います。
●生前のお申込も受け付けています。
●大型駐車場が完備されています。
●墓じまいの必要がありません。

アクセスマップ

アクセスマップ

施設・設備

東屋・水場

樹木葬墓地の近くに東屋・水場があります。
テーブルと椅子があり、お休みする事もできます。

管理寺院

  • 樹木葬

光明山 大善寺について

当山は「光明山 徳水院 大善寺」と称し、浄土宗に属し、本尊は阿弥陀如来である。増上寺の末寺であり、本堂内陣前上方に飾られている「日の丸扇」は増上寺から「日の丸扇の間」を移築した名残りと伝えられる。当山には数枚の板碑が保管されているが、後深草天皇の御代宝治2年(1248年)の年号が刻まれている。現在最古のものは嘉禄3年(1227年)であるから当山の板碑は相当古いものと云える。新編武蔵風土記稿によれば「境内墓所に古碑3基あり、其の内永享(1429年~1440年)の文字見ゆ。其の余は剥滅して見えず」とあることからも、この地は聖地として、すでに多くの人々が祀られていたことと思われる。元禄4年(1691年)2月の「本尊修補募縁序」によれば、弘治年中(1555年~1558年)禅徒の端蔵王という人が、たまたま当所に留錫し、慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来座像を鎌倉から招来し、安置されて、この小庵を復興し、その後浄土宗の覚蓮社本誉上人、大阿善達が中興したと記されている。本誉大阿善達は天和元年(1681年)9月示寂されているから、当寺の再興は天和元年(1681年)以前であり、大阿善達が浄土宗としての開山とされている。
大正12年9月の大震災で、本堂が倒壊したが、檀信徒の協力によって昭和4年に諸堂を併合して再建された。左に聖徳太子を祀り、右中央に寅年十二薬師第十番礼所の薬師瑠璃光如来を祀り、そのまわりには西国33体の各種観音菩薩像が祀られている。そのほか午年の准秩父観音霊場第三十二番礼所の聖観世音菩薩像も祀られている。境内墓地は平成3年3月で完成し、開眼法要が営なまれ、本堂周辺の整備や植栽の他、付属の設備や施設も施工され、今日に到った。

光明山 大善寺