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  • 江戸の匠が創りし楼門と
    カヤの古木が見守る聖域
    永照山 歓喜院
    (真言宗 智山派)
2024.08.30
寺院紹介
壬生樹木葬墓地

江戸の匠が創りし楼門と
カヤの古木が見守る聖域
永照山 歓喜院
(真言宗 智山派)

永照山 歓喜院は、栃木県下都賀郡壬生町羽生田にあります、真言宗智山派の長い歴史を持つ寺院です。1170年に南都興福寺の行智上人によって創建されました。設立当初から何度も火災に見舞われ、その度に荒廃と再興を繰り返してきました。

 

特に1571年の大火は甚大で、その後も長い間復興が難航しましたが、1688年に宥俊師が寺地を移し、現代へと繋がる基礎を築きました。時代が進むにつれて、寺院の発展が続きましたが、1827年には落雷によって本堂が焼失し、伽藍は再び荒廃しました。しかし、平成に入ってからの二十二世道観僧正による努力で、1995年には本堂、観音堂、書院、庫裏が完成し、現在の山容が整いました。

 

寺院の特徴的な建物の一つが楼門です。この楼門は、江戸時代の工匠である永野万衛門によって1780年に建造され、当初は茅葺きでしたが、現在は銅板で葺かれています。楼門のデザインは三間一戸で、社寺建築特有の大虹梁と組物を使い、堂々とした風格を持っています。大虹梁(だいこうりょう)とは、雨上がりの虹をイメージした梁で、少し反りがかかった形状が特徴です。この楼門は壬生町の有形文化財に指定され、その美しい構造が人々を魅了しています。

 

境内には広い敷地があり、中央には古いカヤの木が立っています。この木には落雷による焼け跡が残っており、その歴史の深さを物語っています。また、歓喜院の周辺は黒川の河岸段丘となっており、かつては羽生田城が築かれていた場所です。現在でも空堀跡や土塁跡が残り、歴史的な雰囲気を漂わせています。

 

 

  

 

  

 

 

境内には、時代を超えた美しい風景が広がり、静寂な空間の中で心の安らぎを感じることができます。歴史と共に生きるこの聖域で、ぜひ心の安らぎと歴史の深さを感じてみてください。

 

【山号】永照山

【寺号】歓喜院

【宗派】真言宗 智山派

 

 

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