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    泉鏡花の物語を辿る
    海潮山 妙長寺
    (日蓮宗)
2024.08.26
鎌倉材木座樹木葬墓地
寺院紹介

伊豆法難の記憶と
泉鏡花の物語を辿る
海潮山 妙長寺
(日蓮宗)

妙長寺は、鎌倉市材木座に位置する日蓮宗の寺院で、山号は海潮山です。1299年(正安元年)に日実によって開山されました。日実は日蓮の弟子で、日蓮が伊豆法難の際に地元漁師の舟守弥三郎に救われたエピソードに由来して、鎌倉の沼ヶ浦に堂宇を建立したのが妙長寺の始まりとされています。元々、妙長寺は材木座海岸近くの沼浦にありましたが、1681年の津波による大きな被害を受け、現在の位置に移転しました。

 

日蓮の四大法難の一つである「伊豆法難」とは、日蓮が伊豆(現在の静岡県伊東市)に流罪となり、伊東沖の「岩(まないたいわ)」に置き去りにされた事件です。この困難な状況から日蓮を救ったのが地元漁師の舟守弥三郎であり、その子息である日実が日蓮の弟子になり、妙長寺を開山しました。境内にはこの歴史を記念する「伊豆法難記念相輪塔」が建立されており、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の二の鳥居の一部が使用されています。塔の下には、日蓮の伊豆流罪の際に使用された法難御用船の1/6スケールの石造模型が見られます。

 

また、境内には「鱗供養塔」があり、これは明治11年に建立された魚の供養塔です。鮮魚を扱う者とともに海の生き物への感謝と、豊漁と海の安全を祈願するため、鎌倉・逗子・三崎の漁師や魚商によって建てられ、現在も定期的にお参りする漁師がいるとされています。さらに、「浄行堂」には法華経に登場する四大菩薩の一人である浄行菩薩が祀られており、参拝者は像をなでたり水をかけたりして健康や浄化を祈願することができます。

 

文学的には、明治の文豪・泉鏡花が1891年に妙長寺に滞在し、短編小説「みだれ橋」(後に「星あかり」と改題)を執筆したことでも知られています。妙長寺の実際の歴史や周囲の景色が文学に現れ、現実と幻想が交錯する、独特な文体と視点が色濃く反映されています。この小説から、鎌倉材木座樹木葬『星あかり』『月あかり』と名付けられました。

 

   

 

 

  

 

 

日蓮聖人の足跡と、泉鏡花の世界観が交差する妙長寺で、歴史の深みと文学の香りに浸ってみませんか。

 

 

【山号】海潮山

【寺号】妙長寺

【宗派】日蓮宗

【拝観料】100円

 

 

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