永隆寺は、深い歴史と豊かな教えを持つ法華宗の寺院で、烏山寺町を構成する26ケ寺の一寺です。開基である利玄院日義上人は、徳川家康公の囲碁の師匠としての縁から、神田加治橋に寺領を賜り、永隆寺が創立されました。その後、寛永年間(1624~43)に谷中清水町、元禄四年(1691)には本所出村(後の太平町)へと移転し、関東大震災後の昭和三年には現在の地へと移転しました。
「春陽山」の山号が示すように、永隆寺は「春の陽の山」として、暖かく希望に満ちた教えを象徴しています。「永」の字には「限りなく続く」という意味が込められ、「隆」は「尊ぶ」「栄える」「豊か」といった意味を持ちます。これにより、法華経の教えが永遠に栄え、訪れる人々の心が豊かに繁栄する願いが込められています。
門祖日隆聖人は法華経の本門の中でも、特に「従地涌出品第十五」から「嘱累品第二十二」までを最も大切な教えとされ、『本地本門』と称されました。お釈迦様が上行菩薩に托され、上行菩薩が今生にて日蓮大聖人となられ弘められたのが、法華宗の真髄『本地本門』に由来するところのお題目、『本門八品上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経』であると説いていらっしゃいます。
また、永隆寺には利玄院日義上人が家康公の側室、法華経信仰篤い養珠院殿お万の方から賜った石造の大黒天様があります。この大黒天様は、毎年1月の第2日曜日に行われる祈願会の中心となり、多くの方が集い、心を込めて祈願しています。
そして、境内には鶏塚碑があります。江戸時代、疱瘡(天然痘)が流行し、多くの人々が苦しんでいました。この時代、中国から伝えられた治療法では、鶏の卵が有効とされ、実際に治療に使われました。松平源忠擧の母は、この治療に約20年間で1千個以上の鶏卵を用い、その功績を称えて鶏塚碑を建立しました。この碑は、江戸時代の医療と人々の献身を象徴する重要な記念碑です。鶏塚碑を訪れることで、当時の医療の知恵と人々の努力を感じ取ることができます。
歴史と教えが息づく静かな境内にぜひ足を運び、過去の智慧と温かな心に触れ、心の平安と豊かさを感じてみてください。
【山号】春陽山
【寺号】永隆寺
【宗派】法華宗 本門流